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関係各位
本日の判決に対する、学校法人京都朝鮮学園(告訴人・被害者)弁護団による声明は、以下のとおりです。
1 概要
2019年11月29日、京都地方裁判所第3刑事部(柴山智裁判長)は、ヘイトスピーチによる名誉毀損被告事件(被告人西村斉)について、罰金50万円に処する有罪判決を言い渡した[1]。
判決理由において、被告人の言動が民族差別であることへの明言を回避し、公益目的を認定したこと(及び量刑)は極めて不当であり、ヘイト被害を受けた学校関係者への動揺を与えている。本件のヘイトクライムとしての本質に対する判断を回避していることは、昨今の日本社会での反差別・反ヘイトスピーチの立法化の流れに逆行する判決内容と言わざるを得ない。 2009年の事件以来、学校当事者の努力で獲得されてきた裁判の成果を無に帰せしめかねず、多文化共生社会の実現に大きな障害となりかねない司法判断である。控訴審における是正が喫緊の課題となる。
判決の根底には、ヘイト被害の特徴への無理解があり、そのために被害者である児童ら、学父母らに生ぜしめた恐怖感・不安感への想像を欠落させてしまったことが疑われる。本件を含め名誉毀損は被害者参加制度の対象犯罪ではなく、法廷においてヘイト被害の実態を直接訴える機会もなかった。こうした被害者不在の構造からの影響が、判決結果に如実に現れてしまったように見受けられる。
2 公益目的の認定の不当性
(1) 公益目的とは
一般に「公共の利害に関する事実」の摘示である場合には、名誉毀損があっても「その目的が専ら公益を図ること」(公益目的)と認められ、真実性ないし真実相当性の証明があれば処罰されない(刑法230条の2)。本判決では最終的には真実性・真実相当性の証明がないとして有罪判決を導いたものの、公益目的を肯定してしまった点で、極めて問題のある判断内容である。本件のような明らかなヘイトスピーチに対し、あたかも公益目的があるかのような認定を行うものであるため、今後の同種犯罪を誘発し、刑事司法によるヘイト犯罪の抑止力を弱めてしまう作用が懸念される。
(2) 判決の認定と、その不当性
この公益目的の認定において、判決文では、被告人は「主として、日本人拉致事件に関する事実関係を一般に明らかにする目的で判示の行為に及んだ」などとされ、その理由として、被告人自身が朝鮮が行った悪事を知ってほしい自分の活動が最終的に日本の国益になると信じている旨、供述していることなどを挙げた。しかし、本件行為の具体的態様や前後の経過に照らし、自身の主要な目的が、拉致問題の啓発であったなどと弁明すること自体が欺瞞であり、判決は、こうした本質を見誤っている。
本件の具体的な発言内容や行為態様に照らして評価した場合[2] に、公益目的が認定しうるのか、甚だ疑問である。被告人において、真実、判決が認定したような真摯な目的があるならば、あえて、被告人が標榜する公益(拉致事件の解決)を実現していく効果が希薄で、なおかつ、児童や学校関係者らの不安・恐怖感を殊更に煽るような表現態様を選択する必要はない。本件の具体的な行為態様の特徴であった、
あえて、以前に自身が刑事事件を起こした京都朝鮮学校の跡地に行き、
当該学校があった跡地を指さして
根拠が皆無であったにも関わらず、殊更に、当該学校と拉致問題を関係づけて危険視する発言を繰り返していたこと
等に鑑み、専ら朝鮮学校に対する差別を扇動し社会的評価をおとしめる目的であったことが十分に推認される。
被告人は、もともと、長年にわたって朝鮮学校の解体を目的と掲げた街宣デモ行為を繰り返し行ってきた人物でもある。実態としては、こうした差別目的のもとで行われた行為である。拉致問題を口実として利用し、表現行為であるかのような「表面上の装い」(後述の京都地裁H25.10.7判決参照)を偽装して本件犯行に及んだものとの認定は証拠上優に認められると評価すべきであった。
今回の判決理由も、被告人の発言のうち「まだこの朝鮮学校関係者がこの近辺に潜伏していることは確実」「朝鮮学校関係者かなと思ったら110番してください」など、一般聴衆の不安感を殊更に煽る内容に照らして「朝鮮学校関係者というだけで犯罪者と印象づける目的」があったとの認定まではしている。そうであれば、端的に差別扇動の目的こそが主目的で、公益性などはないと認定すべき事案であった。
(3) 過度の一般化に潜む差別性
判決は、被告人の公益目的を認定するにあたり、「被告人において、少なくとも、大阪朝鮮学校の元校長が日本人拉致によって国際手配されたことや、朝鮮総聯が朝鮮学校全般に一定の影響力を及ぼしていたことについては、そのように考える相当の理由があった」ことに重きを置いた。
しかし、全国に何十とある朝鮮学校は、それぞれ個別の独立した学校として、それぞれの地域に根差した教育実践を行っている。そのようななかで、仮に被告人が上記考えを抱いていたとしても、今回のように京都初級学校のみを殊更に標的にする発言内容として、同校の校長が犯罪に関わったとする事実無根の名誉毀損を行うことに合理性を見いだすことはできない[3]。
さらに、社会的耳目を集めた2009年事件の主犯格として服役までした人物が、その刑の執行終了直後に、犯行現場となった当該学校跡地に立ち寄り、あえてヘイト犯罪の再犯を公然と敢行するという態様での犯罪行為となれば、これは法秩序に対する挑戦に外ならない。当然、それによって惹起される社会不安は極めて大きい。なかでも京都の学校を中心とした在日朝鮮人コミュニティに大きな不安を与えうることについては、外ならぬ被告人自身が、従前の裁判審理等の経験、服役中や保護観察中の矯正教育をとおして熟知しているはずである。そのうえで本件学校を街宣場所としてあえて選択したことを加味して考えるならば、なおのこと公益目的であるなどとの被告人の弁明の不当性が際立つ。
結局のところ、被告人の弁明で述べられる公益目的よりも、差別扇動目的のほうがより強く推認される状況にあるなか、刑法230条の2の定める「目的の公益性」を認める余地はない。
3 従前行為との連続性
従前の2009年事件においても、被告人は正当な表現活動であると弁明していた。しかし、京都地裁H25.10.7判決、大阪高裁H26.7.8判決は、それぞれ慎重な審理を経た事実認定として、
「(隣接する京都市公園の利用を)口実にして本件学校に攻撃的言動を加え、その刺激的な映像を公開すれば、自分たちの活動が広く世に知れ渡ることになり、多くの人々の共感を得られる」「『朝鮮人を糾弾する格好のネタを見つけた』と考え」、「在日朝鮮人に対する差別意識を世間に訴える目的」で行われたものであって、各街宣において在特会が喧伝してきた「違法な占用状態を……解消する意図」などについては、単なる「表面的な装いにすぎない」
と断じてきた。本件は「拉致問題」を口実にして、正当な表現行為を「装う」という点で共通している。ヘイト動機に基づく悪質性、この点について全く無反省であることにおいても明らかな共通性が見られる。にもかかわらず、判決理由では、この点を看過して、
「学校の業務を直接的に妨害した前記の前科とは犯行態様が大きく異なる」
などと認定して、懲役刑を回避した。罰金刑とした結論は、事案の本質を見誤る不当な量刑評価であることは明らかである。
[1] 判決では、被告人が、2017年4月23日、勧進橋公園において、かつて同公園に隣接して所在した学校法人京都朝鮮学園が運営していた京都朝鮮第一初級学校のことを指して、拡声器を用い「ここに何年か前まであった京都の朝鮮学校ってありますよね、この朝鮮学校は日本人を拉致しております。」「まだこの朝鮮学校関係者がこの近辺に潜伏していることは確実」「朝鮮学校関係者かなと思ったら110番してください」などの発言を行い、動画配信サイトにその様子を投稿して不特定多数の者が閲覧できる状態にさせたとの事実を認定した。京都朝鮮学園に対する名誉毀損罪が成立すると判示した。
[2] この点、公益目的の判定にあたっては、「摘示する際の表現方法や事実調査の程度などは、同条にいわゆる公益目的の有無の認定等に関して考慮されるべきことがら」(月刊ペン事件最高裁判決(昭和56年4月16日))とされている。
[3] たとえ、とある組織の元代表が公共の利害にかかわる犯罪をおかしたという報道があったとしても、当該組織はもちろんのこと、それと独立した別の法人格である関連組織とその関係者も同じ犯罪を犯したことにならないことは言うまでもない。そのような発言をしてでの公益目的は希薄と評価されるであろう。同様に本件でも、大阪の元校長という人物の犯罪報道一つをとって、京都の朝鮮学校に対する名誉毀損が公益目的などとして正当化しうるべきものではない。//// 特定の属性にある多様な人々の個別性を捨象して、過度な一般化を図ることは、単に論理的誤謬であることに留まらない。これが、マイノリティに対する悪感情と合わさると、差別と偏見を助長することになる。そしてこうした「助長」を意図的に作出し、差別扇動の効果をもたらすことは、被告人の真の目的である。/// 判決は、被告人の過度な一般化(差別的思考)を追認してしまった点で、極めて不当である。