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執筆者の写真弁護士 冨増 四季

ヘイトスピーチの定義について もう一度考えよう。

更新日:5月16日

※ 2024.5.16 改訂履歴:  ①質問の番号をマンガ冊子「あなたと私とヘイトスピーチと」巻末(p.26)のQ+Aページに対応させました。②Q4の質問分に下線部を加筆



この文章を準備した視点まとめています(ご関心があれば、左の「>」印をクリックすると展開します。)


 


(はじめに)この冊子でQ&Aをまとめるにあたって、大切にしようとした視点、基本的な考え方などがあれば、まず最初にそれを教えて下さい。

私たちは、この冊子を作るにあたり、市民のみなさんが、日々の生活のなかで、個人としてヘイト・スピーチに遭遇した場合にどのように行動すべきか。それを考えるヒント、道しるべ・指針の一つとなるようなQ&Aを目指そう、と考えました。あなたは、ヘイトが行われたその場で、あるいは事後的に、次のリアクションをどのようにとっていくのか。これをあらかじめ考えておく、あるいは振り返って自問自答してみるときに、みなさんの考えの整理の助けとなる指針を示したいと思いました。

これまでの ■日本におけるヘイトスピーチの議論■ では、ヘイトスピーチの定義についても、国に対して、刑罰を科しなさい、とか、施策をとりなさい、とかいう勇ましい提案のなかで検討されることが多かった。すると、ヘイト加害者がどう考えていたか、何を目論んでいたか、という加害者側の事情を問題にせざるを得なくなってしまう。国が刑罰を科す対象は、「人としてどうなのか」といえるくらい非難が可能な加害行為に限定しなくてはいけないからです。例えば、国連の人種差別撤廃条約なんかでも、刑罰を科せ、といった条文の議論では同じことがいえます。

しかし、■市民のみなさんの行動指針を考える場面■ においては、加害行為の分類なんかよりも、

まず何より「被害者ファースト」。

これでいきましょう。法律で罰すべき行為を厳選して選別する場面ではありませんから、ヘイトスピーチを広く理解して、広くアンテナを張っておいたほうがよいと考えます。だって現実に傷ついている人がいるんです。みなさんだって、誰かを差別で傷つけたくない、傷ついた人々が回復していくための力になりたい、と願っているわけですから。

私たち市民が自らをふり返り、自身を戒める場面。そして傷ついている人々の存在に敏感になって、勇気を発揮していく場面。こういう場面設定で、一人一人の小さな勇気を後押しできるような指針として役立てていただくために、このQ&Aでは、

 マイノリティ集団に属する人々(被害者)に対して、

 普段から日常的に感じている差別とか生きづらさを

 より強く感じさせて、

 自尊心や、社会に対する信頼を失わせ

 心が傷つけられるような痛みを感じさせる表現行為

 広くヘイトスピーチと考える。

これでいこうと思います。

被害者の気持ちを基準にして定義を考える場合には、加害者に強い悪意のあるものと並んで、悪気もなくうっかりしてしまったもの、これらをすべてひっくるめてヘイト、と考える必要があります。外から見たら、あるいマジョリティからしてみたら、その発言は、一見、小さな出来事であったかもしれない。しかし、加害者に悪意がないときでも、被害者はそっと傷つくかもしれない。いいえ確実に、深い傷を負い、自らを沈黙させ、気配を消し去ります。

参考リンク: 日韓ハーフが語る

そして、気配を消し去った被害者は、発言をした人の周りの人たちがどのような反応をするのか、全身の五感を研ぎ澄まして察知しようと努めることでしょう。細心の注意で気配を消しているので、そんなふうにあなたや周りの人々を観察していることは、周りには感じさせません。その場で、ひどい差別だ、それはおかしいという人物がいるのか、それとも、なかったことにしてやりすごすのか、黙認するのか。にやにやとして、今にもはやし立てたそうにしている人たちもいるのか。その場がどう流れていくのか、じっと見つめていることでしょう。マイノリティの属性を持っていない、その場に居合わせた人たちに自覚されることはほとんどないけれども、私たち一人一人の勇気が問われてきたのは、実は、このような緊張感のある場面だったはずなのです。

現場では、被害者が誰なのか、その場にいるかどうかも、あなたに分かることは少ないでしょう。すぐ隣の人が傷ついた人であるかもしれない、でも決して正面から聞くことはできない、といったシチュエーションです。そんななかでも、あなたが、ちょっとした勇気を見せられるかどうか、これが勝負です。あなたの行動一つで、息を潜めて様子に神経を張り巡らせている人々の人生にとって、大きな励みとなることもあり、あるいは、深い絶望を与えることもあり、本当に大きな大きな違いとなってくる。

国の法規制ももちろん大切なのですが、同時に、国任せ、法律任せにしない、個人としての私たち自身の小さな勇気、ささやかだけれども強靱な気持ち、それをなるべくたくさんの方々に持ってほしい、そして連帯したい、と思うのです。差別社会をなくし、ヘイトスピーチをなくすことは困難な課題です。しかし、世の中からヘイト表現がなくならないにしても、たくさん発せられたとしても、その度にその威力を消し去る方法があります。それは、一人一人の勇気と小さな行動の積み重ねによって。そうした勇気を後押しできるように、しっかりと頭の整理ができるQ&Aにしたいと思いました。

 

Q1:ヘイトスピーチとは何ですか?

人種・宗教・性的志向・性別などの、マイノリティの属性に対して、「ヘイト(憎悪・嫌悪)」を表現する行為のことです。偏見・差別を拡散させ、マジョリティへの同化、社会からの排斥を迫ります。

ヘイト規制立法を求める議論のなかで「ヘイトスピーチ」と言うときは、差別取扱いや暴力行為をあおり立てるような差別扇動の悪意や目的を持つものを意味していて、その表現態様、発言内容も激しく、過激な差別用語を連発するような形態の街頭宣伝が念頭に置かれることが多いでしょう。

もっとも、加害者にここまでの悪意がない発言であったとしても、被害者は傷ついています。また、悪意や差別扇動する意図があるものだけをとりわけ問題視する考え方が強まってしまうと、こうした悪意のある人々の弁明で「悪気がなかった」とか、「軽い気持ちでしてしまった」などのごまかし・開き直りを許す余地を与えてしまいます(以下の記事はその実例)。


産経新聞記事:車掌は「差別の意図はなかった」と釈明。…「日本人乗客の1人が車内で『外国人が多く邪魔だ』との内容を大声で言ったのを聞き、乗客間のトラブルを避けるため、所定の案内を放送した後、付け加えた」と話したという。

朝日新聞記事: 巡査部長は「(抗議する人が)体に泥をつけているのを見たことがあり、とっさに口をついて出た」、巡査長は「過去に(抗議する人に対して)『シナ人』と発言する人がいて、つい使ってしまった」と説明。2人とも「侮蔑的な意味があるとは知らなかった」と話した、としている。

こうしたごまかしがまかり通るのを目の当たりにして、被害者はますます、日本社会に対する信頼を失っていきます。

私たちは、それぞれの課題につき、定義づけを整理する目的をきちんと整理して、その目的に照らして最も効果的となるように、課題に適した定義づけによる線引きを、柔軟に考えていく必要があります。

(Q2 中略)

 

Q3: ヘイトスピーチと差別語、差別表現はどのような点で共通するのでしょうか?

差別語、差別表現の例としては、穢多、鮮人、ビッコ、メクラ、キチガイといった言葉を挙げることができます。ヘイトスピーチと差別語の共通点として、ある社会において差別を受けるマイノリティに向けられる侮蔑表現で、社会内の差別・排除の力学を背景にこれに晒されたマイノリティの心を深く傷つけるという点を挙げることができます。さらに、社会内の差別を強化するという外への波及効果ももたらすという点でも共通点があります。

 

差別語の発言者は、時として無意識・無自覚なうちに、ある被差別集団に属する個々人の人格を傷つけ、蔑(さげす)み、社会的に排除し、侮蔑・抹殺しうる暴力性をもつ言葉です。差別意識(憎悪感)を浸透させ共有させていく社会的な影響を及ぼしていきます。こうした言葉自身に固有の歴史的、社会的背景をもっています。なかには、ブス、チビ、ノッポ、ボケ、ハゲといった、単に個人の身体的特徴や性癖のみをあなどる対象とするように聞こえる言葉もあります。しかし、こうした言葉についても、実は社会内に存在する不当な差別を反映したものであることが多く、ヘイトスピーチや差別語と位置づけるべき場面が多いでしょう。

 

なお、「このカス!」とか「ろくでなし」などのような発言などについては、社会内の差別構造の力関係や特別な作用などからは無関係に発せられるものである限り、ヘイトスピーチや差別表現のような深刻な精神的被害や、社会に対する波及効果は生じないものと思われます。


 

Q4: マイノリティがヘイトスピーチ被害を受けたときの被害とは、どのようなものなのでしょうか。どうしてマイノリティに対するヘイトだけを問題にするのでしょうか?(下線部2014.5.16 加筆)

差別感情、憎悪感情に基づいたヘイトスピーチを受けるということは、被害者にとってはまさに顔面に平手打ちをくらうようなもので、被害は瞬時に生じ、何故そうした行為がなされたのかということに思いを巡らす余裕も、それに対抗しうる表現を相手に返す余裕も失わされてしまいます(沈黙効果)。肉体的暴力に近い衝撃と言われています。

さらに、こうした最初の衝撃の後に、「持続する感情的苦悩」、「自信喪失」、「逸脱感情」、「帰責の間違い」といった苦悩が持続するといわれ(Craig-Henderson教授による整理。詳しくは「ヘイトスピーチの法的研究」金尚均編・35頁参照)、その影響は多岐に波及していきます。インターネット動画を見たり差別街宣があると人づてに聞くだけでも、マイノリティの人々の心は大きく傷つき、日本社会に対する不信感と漠然とした不安に支配されることもあるでしょう。自尊心の根っこの部分、自らの人格的存在の基礎的な部分に傷が残ることで、その後も長期に亘る影響を与えると報告されています。

さきほどのQ2では、在特会の街宣などでの「保健所で処分」「鶴橋大虐殺」「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」と言った発言も空虚で現実味がないと書きましたが、これは差別の歴史に鈍感な平均的マジョリティ日本人が聞くという文脈においてです。マイノリティが聞く場合は全く違います。過去何十年にもわたって、現実に、自分たちの親や祖父母などが恐ろしい被害に遭ってきており、また日々、大小さまざまな差別行為に晒されているがために、大惨事の再来の不安とともに毎日を過ごしてきたからです。むしろ、このマイノリティの感覚のほうが、史実をふまえた、より正確な現状認識と将来予想といえ、中村一成さんの言葉を借りればこうした恐怖は「根も葉もある」ものなのです。

差別発言が社会に波及し、やがては同胞に現実の被害を生んでいく将来図がリアルに体感されるがために、いかに加害者が軽い気持ちでふざけて発する言葉であったとしても、マイノリティ被害者は、その言葉の額面どおりに受け止めざるを得ない。だからこそ、自身も強い恐怖・不安を抱き、さらに自分の子どもや年老いた両親、祖父母に対する危害を想定し、日本社会に対する絶望感を抱くのです。

このように、マイノリティ個人のさまざまな思いと内心で解消できない葛藤などが複雑に連鎖して、自尊心の根幹部分にダメージを与えるのがヘイトスピーチです。

(Q5~Q.11 略)

 




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