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  • (パワポ作成協力: 同志社大法学部4回生(当時)・金泰樹さん)

5分間は笑っていられるんですが。。

更新日:2022年1月30日


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京都事件の被害を受けた、学父母の一人が語るところによれば、彼女は、ヘイトスピーチの現場で街宣参加者らの言葉それ自体に恐怖を感じるわけではない、という。ヘイト街宣参加者らのあまりもの言葉の軽さに滑稽さすら感じ、最初の何分間かは笑っていられることもあった。

​​​​ところが、そのうちに発言者の後ろでこれを支持して街宣に同行している多数の人々が視界に入ってくる。

​​そして、インターネット動画に共鳴し増殖しはじめる人々に想像が広がる。

さらには日本社会のサイレントマジョリティが、政治家たちの挑発的発言を支持し、彼ら差別街宣参加者たちの信条を下支えしているような構造を実感するに至る。

「日常」を支えてきた社会への信頼瓦解するのは、このときである。

ヘイトスピーチが社会に投げかけられたとき、危険な差別主義者がどこから嫌がらせにやってくるかもわからない状況に追い込まれる。そのことに気づいて、恐怖を抱くのだ。

 

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他方で、自分には子ども達や家族や大切な友人たちがいる。自分だけだったら、大人だし、概ね健康だし、腕力?にも自信もある。注意を払って、反撃して、差別攻撃などはねっかえせるはずだ。

しかし、学校を楽しみにしている幼い子ども、疑うことをしらない腕白ぼうやや、病弱の年老いた母や、障害のある親戚に危険が及ぶことは防げるのか。それ以外にも、何十人といる本当に大切な友人たち。

仮に、自分の子どもだけ守ろう、と限定したとしても、それぞれの生活があるなかで、一日24時間、自分が子どもにつきそって生活していく、なんてことは不可能なのだ。

日本社会にたくさんいる加害者予備軍たち。そして守らなければならないたくさんの大切な人たち。予備軍の差別者のわずか一人であっても、ある日、思い立って、大切な人の一人を傷つける行為に出てしまえば、それは、自分の日々の日常に対する大打撃となる。「みんなをどうやったら守れるのか。はたして、守りきれるのか。」自問自答するうちに、極度の不安と閉塞感が襲ってくる、という。

よくある四条河原町の交差点の風景だって、不安に駆られた在日コリアンの心情で見れば、この写真のように見えているのではないだろうか。町ゆく人々の大半はマジョリティの日本人だろう。そんな人々が、みんな、本音の部分では、自分たちのことを嫌っている。敵意を持っている。日本から出て行ってほしいと思っている。

本音を隠しておとなしくふるまってくれるなら、まだ、やりすごせるかもしれない。しかし、なかには一人くらい、突如、激情に駆られて、攻撃の牙をむいてくる人が潜んでいてもおかしくない。今日、行動に移さなくても、明日か明後日か、一ヶ月後か。。いつかはわからないが、ためこんだ憎悪を爆発させる人物がまぎれていても、おかしくない。

 

「不安に駆られた」と表現したが、私たちは、マイノリティを支援する立場から、「そんなのは被害妄想ですよ」「疑心暗鬼ですよ」なんて言って、安心させることはできるだろうか。歴史は、史実は、私たちに何を語っているのか。

「最近、在日外国人が危険視される傾向がある。知事自らが、先の震災の反省をするどころか、その不安感をあおる。住民の7割がそれを支持する。外国人は、こわい。何をするかわからない、と。 だが、ほんとにこわいのは日本人ではないか。震災で、大戦で、罪もない人々を殺した日本人はこわくないのか」」

日本の歴史を振り返れば、上に見たような思いを抱く在日コリアンのほうが、むしろ、正しく歴史から教訓を得ているように、私には思える。悲しい差別と迫害の歴史の数々について、マジョリティの大半は忘れてしまいがちかもしれないが、被害を受けたマイノリティの側では、世代を超え、被害体験を語り継いで承継している。ヘイトスピーチが、やがて犯罪行為、果てはジェノサイドへと進展していく作用なども、極めてリアリティをもった情景として受け止められ、子どもや家族を守るためにも切実な問題となる。日々、細かな差別体験は当たり前のようにある現実。さらにはヘイトスピーチが広がりを見せる日本社会。昔の話だよね、なんて聞き流すことができないのは当然だ。

このように見てくると、深刻な精神的被害をもたらす基礎には、長年の差別構造をはじめとする「歴史性」の問題があることがわかる。ヘイトスピーチが被害者に与える打撃というものは、社会における少数者、マイノリティに向けられた攻撃であるからこそ生じる被害メカニズムといえる。マジョリティであれば、ここまでの不安、恐怖感を抱くことがない。私は、「ヘイト被害の一方向性」という表現を用いているが、社会学的には、「非対称」という用語があるようだ。

この作用については、広く日本社会に認知させていく必要がある。そして、歴史を謙虚に学び、このような恐怖を抱く人々への配慮をすることは、社会に生きる一個人として当然のエチケット、と認知させるのだ。私たち一人一人が、父母の世代、祖父母の世代が犯した責任を負う、という考え方に立つのであれば、それは、エチケットどころの話などではなく、マジョリティの当然の義務となる。


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