先日の4/5と4/26の国会審議を見た。私が弁護団で担当した京都事件判決と、つい先日の高松高裁判決(有田議員4/26質問)に言及されており、国会審議に大きな影響を及ぼしていることを実感した。しかし、この2つの判決で共通のテーマ「民族教育に対する迫害」という観点は、質問者からも答弁からも全くと言っていいほど言及されていない。これには大きな違和感を抱いた。
この間の日本での議論を見ていると、ヘイトスピーチに関しては強い世論の関心を引きつけているが、全国の朝鮮学校の高校無償化の問題、それから文科省の3月29日通知の差別性についてなかなか世間に認知してもらえない。京都朝鮮学校の学父母や教職員からもしばしば指摘される。補助金に関する3/29文科省通知に抗議するで4/15会見(@外国特派員記者クラブ)では、オモニ会の方からコメントがあった。
このコメントを引き出した北野・朝日新聞記者の質問は、見落とされがちな歴史的なつながりについて見事に指摘していた。以下は、私が金尚均龍谷大教授とともに東京で会見(2015.2.26)をしたときに準備したスライドである。この歴史的な視点を持つことで、今日蔓延するヘイト街宣の責任の一端が、日本政府にあることを示そうと試みた。
高校無償化からの適用排除や自治体の補助金ストップなどの措置が、いかにヘイトスピーチを勢いづかせるものなのか。昨年2月の会見の中ではほとんど触れられなかったので、この機会にその内容を紹介する。
なお、国会審議では、河野国家公安委員長は、西田昌司議員とともに、京都事件については警察が十分な対応をした、との評価を前提にするようである。ぜひ、中村一成氏の「ルポ・京都朝鮮学校襲撃事件」をご一読いただき、認識を改めていただきたい。警察の対応の鈍さは、生徒・学父母の不安を長期化させた。人種差別撤廃条約の義務違反であったというべきであるし、刑事裁判において執行猶予とした判決
が、その後の再犯被害(ロート事件、実刑判決)を許した側面についても再検証が必要である。
(目次)
1.ヘイト「クライム」だった京都事件
2.新しい現象と捉える風潮
3.「クライム」視点で浮かび上がる連続性
(1)警察の沈黙
(2)阪神教育闘争 1949
(3)高校無償化からの適用排除
4.ヘイト暴力のピラミッドの肥大化
5.まとめ
1. ヘイト「クライム」だった京都事件
京都事件は、ヘイトスピーチのなかでも最も悪質な部類で、現行刑法に違反する犯罪の領域に至っていました。ヘイト・「クライム」でした。
「クライム」だからこそ、見えてくる日本社会の問題性、政府対応、警察対応の問題性があります。ところが、この間のヘイト「スピーチ」議論のな かで、こうした観点が見過ごされがちになっています。
在特会は、新しい社会問題として捉えられがちですが、在日朝鮮人に対する暴力行為は、過去に何度も繰り返さ れてきました。朝鮮人民共和国との政治問題や、軍事的な安全保障問題で、マスメディアなどでのバッシングが 強まるたびに、一番弱い立場にある在日の子どもたちに差別攻撃・嫌がらせの矢が向けられてきた経過がありま す。
例えば、チマ・チョゴリ切り裂き事件です。事件認知数は、1989年に48件; 1994年に160件; 1998-99年に70件; 2002-03年に321件; 2006年には 177件とも言われています。
以下は、東京弁護士会が2003年に作成したポスターです。
チョゴリのイラストを構 成しているのは、びっしりと書き連ねられた何十人もの子どもたちの被害体験です。
2.新しい現象と捉える風潮
京都事件や、一連の在特会による攻撃を、「ヘイト・スピーチ」という新しい用語でくくり出し、議論されることが多い。
この切り分けをもとに、インターネットの浸透、格差社会の経済の進展を背景にした、新しい現象としてメディアやジャーナリストの関心を集め、原因分析や問題点の検討が行われるわけですが、その過程で、知らず知らずの うちに、過去の暴力事件との連続性を見落としがちになってしまいます。
3. 「クライム」視点で浮かび上がる連続性
連続性(1)長年続く、警察対応における差別性
しかし、前述したようなチマチョゴリ事件のような過去の事件との連続性に注目すると、全く別の問いかけが浮か び上がってきます。 京都事件や徳島事件の動画で、臨場した警察官が何人も写り込んでいます。
被害当事者たちは、まず在特会の差別発言にダメージを受けましたが、その次には、警察がこれを黙認するかのよう に沈黙を貫き、差別街宣をやるにまかせるかのような対応としたことに、大きな衝撃を受けていました。 警察の沈黙、これは過去の差別事件において、日本政府が国連の各種条約委員会から繰り返し勧告を受 けてきた問題でした。「ヘイト・スピーチ」「ヘイト・クライム」といった言葉が全く知られていなかった時代に、既にチマチョゴリ切り裂き事件などで既に露呈していた問題だったのです。
(戦前まで遡るなら、関東大震災当時の日本政府の責任について、
日弁連から謝罪勧告(2003年)が出されている。)
かねてより、日本の警察組織は、国家権力や大企業に対する正当な表現行為に対しては過剰ともいえる介入をしてきました。それなのに、ひとたび被害者が、在日コリアンというマイノリティや社会的弱者となると、悪質な威力業務妨害行為を現認しながら、積極的な指導も現行犯逮捕もしなかったというのです。人種差別撤廃条約上も見過ごせない、れっきとした差別というべきです。
日本政府が国際勧告を無視するにまかせてしまったことが、京都事件や後続の在特会の暴力行為での警察対応の甘さを許してしまったといえます。
連続性(2)阪神教育闘争
朝鮮学校やその生徒に対する暴力事件、ということで、歴史をさらにさかのぼれば、日本政府 自身が、弾圧を加えていた阪神教育闘争に行き着きます。
これは、朴道済さんという方の京都での体験談をもとに、1949年当時の学校閉鎖の様子をイラストにしたものです。 このときの日本政府の対応と、在特会には驚くほど共通する面があります。 校門の前で物理的な業務妨害事件であること。多数の子どもたちが暴力の標的となったこと。何より民族教育の 営みを否定し、学校を閉鎖して日本社会への同化・排除を無理やり、暴力的に実現しようとしているところで、本質的に同じです。
連続性(3)高校無償化からの適用排除
そして、在特会の京都事件の後にも、日本政府は、高校無償化の適用排除で、朝鮮学校に大きな打撃を与えま した。
民族教育の否定、日本の学校教育へ子どもたちを組み込んで同化させていくこと、それが嫌なら教育の場 から排除するということ、といった観点で、約70年前の阪神教育闘争当時と、日本の政策はほとんど変わっていないことがわかります。
【新しい現象と捉える場合(左)と、過去との連続のなかで位置づける場合(右) 左右で比較すると、かなり様相が異なってくることがわかる。】
4. 「ヘイト暴力のピラミッド」の肥大化
このように、在特会のような下からのレイシズムと、 高校無償化の適用排除といった日本政府による上からのレイシズムが、車の両輪として作用してきました。 ヘイト暴力の裾野を広げ、また新たな暴力行為を誘発する社会環境を深化させたのです。
5.まとめ
日本政府による朝鮮学校閉鎖(京都では1949 年)をヘイト「クライム」と見るならば、校門にやって来た子どもたちを暴力的に制止し、今日の在特会の役割を担ったのは日本政府自身である。高校無償化適用排除や自治体の補助金廃止といった昨今の朝鮮学校施策も、差別扇動や民族教育排除の効果で共通している。京都事件で警察が動かなかったのは、官憲に連綿と続く差別政策に影響されたと考えるべきかもしれません。
こうした連続性は、ヘイト「スピーチ」とヘイト「クライム」の定義をきちんと整理しておかないと、表現の自由の議論とごちゃごちゃになって、埋没してしまいがちです。
京都事件の被害者らは「差別は当たり前」「警察は信用できない」と言い、当初は弁護団のアドバイスを受け入れることに抵抗があったといいます。今から思えば、京都事件は、日本社会に昔からある差別犯罪の延長であり、これを助長したのが長年の日本政府や警察の消極的な姿勢であるという訴えだったのでしょう。
その後の警察対応をみれば、差別社会を生き抜いてきた在日朝鮮人の直感が正しかったといわざるをえません。
日本政府に内在する差別性について、歴史をふまえてしっかり検証しておくことが大切です。これから議論される新法の実効性を予想し、かつ、表現規制の濫用の危険性を吟味するうえでも、極めて重要なことと考えます。