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  • kyotojiken-hate

「怪魚」モデル ←→ 「善良な小魚」モデル

更新日:2023年7月30日



(2023.7.21)未完成ですが、まずは公開します。以下は、今後の作業予定(よろしければ展開してご確認ください)

 


安田奈津紀さんのradiko番組を聴いた(MBSラジオ「国籍と遺書、兄への手紙」7/18(火)21:30)。本当に素晴らしいインタビューで、一人でも多くの方に聞いていただきたい。タイムフリー視聴ができるらしいので広めていただけたら嬉しい。


そのなかで、  ①「(被告人は)ネット上のデマを信じ込んだ人だったんですよね。どうやら在日コリアンに不法占拠されているらしい、というデマを信じ込んだ。正しい知識がインターネット上にあれば、ウトロ放火のような差別被害は防げたのではないか」(21分00秒前後  ②「差別動画がエンターテイメントのように消費をされ続けているという実態がある。」(11分50秒前後)  「不法占拠であることを世間に広め、ウトロ祈念館の開館を阻止することによってネット上を湧かしたかった。」(21分20秒前後)


といったコメントがあった。これを聞きながら、被害者代理人として担当したウトロ放火事件と、コリア国際学園事件のときの法廷を思い出した。自分としては、どちらの事件においても、以下①の「善良な小魚」モデルを念頭に、できる限りの被害者意見陳述の準備のお手伝いをしたつもりだった。そのうえで期待をもって被害者意見陳述の法廷に立ち会った。期待が大きかった分、その法廷で、自分の予想が完全に外れたことを目の当たりにしてとても驚いた。驚いたというより、動揺していた。問題の根の深さをまじまじと見せつけられ絶望感を感じた、というのが正しい。


ぴったり合っているわけではないが、上記①②は、概ね、以下の二類型に対応させて、分類できるのではないかと思う。ヘイトスピーチであれ、ヘイトクライムであれ、差別者の攻撃動機が


① 無知によって形成されたのか (「善良な小魚」モデル)、それとも、 ② 自身の考えが誤りと感情に突き動かされていることは自覚したうえで、その本心の感情をおおい隠すための隠れみの・目くらましとして正当な言論を装う。ネット上の誤った知識などを、殊更に引用し歪曲しているだけなのか。 「怪魚」モデル

という分類である。 ヘイト行為者の内心を分析して、効果的な対策を議論していく必要があるのは自明だ。もっとも、その検討にあたり、実は、この①と②の二つのモデルが、本質的に相反していることはほとんど意識されていない。今後、ヘイトクライム裁判が刑事司法で審理されるときには、①と②が全く異質であることを前提にして、当該被告人の内心が、どちらの類型かを見極める審理としなくてはならない。すなわち、当該被告人の動機が

①の場合は、 社会の責任が入ってくるので、弁護側からは量刑減軽の主張がされるはずである。更正可能性にも大きく影響するし、法廷内での変化、内省の深まりなども重要になる。修復的司法の実践を検討するのは弁護人の義務ですらあるだろう。 ②の場合は、 重く処罰する流れとしなくてはならないだろう。修復の可能性を否定するものではない点、誤解のないように強調したい。けれども、現実的には、①類型よりもずいぶんと根が深いので、更正や内省の深まりには時間を要するだろう。刑事事件の結審に間に合わないと思うというだけである。 こうした思考過程に対して「歪んだ正義」との評価を与えるのは誤りだと思う。

※ DV加害事案とか、ストーカー事案など、日本人が被害者だったら、司法は、こんな弁明を許してなどいないはずだ。なのに、被害者がマイノリティとなると、日本の刑事司法は通常事件と異なり量刑を軽くする運用となっているのではないだろうか。もちろん、個々の裁判官の自覚はないかもしれない。また、個別事案で、担当検事や担当裁判官が良心的な人に当たることもあるだろう。しかしながら、日本全体として見たときにどうか。組織的な教育・研修の制度整備が実現していない限りはこうした傾向が続くこと、揺り戻しが起きることをも予想しておくべきではないか。

「歪んだ正義」論が根を貼って、量刑が不当に軽くなってしまう実務が定着していくことには、警戒する必要がある。日本政府が差別的取扱いをしていることに外ならない。人種差別撤廃条約違反の疑いあり、として批判対象としていくべきである。 また、「歪んだ正義」論がはばをきかせると、効果的な対策、効果的な対話を阻んでしまうことにもなるだろう。そのとき、一生懸命に関係修復に取り組み、事実をもって語りかけた被害者からしてみれば、効果が出ず結果が出ない。それは、無力感や絶望感を増強してしまいかねない。そうではない。ヘイト行為者たちは、「感情」に突き動かされており、事実関係について聞く姿勢が備わっていないだけなのだ。絶望する必要はない。そして、この被告人の「感情」の闇に働きかける必要性を認識し、その方法論を意識して工夫していけば、また別の道が開けるはずなのだ。




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