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事務所報「かもがわ」より転載

カナダ寄宿舎学校をめぐる集団訴訟


カナダにおいて、近年、社会的注目を集めた集団訴訟が、公害や製造物責任などではなく、子どもたちの言語と文化の権利への侵害を対象にしていたと聞いて、みなさんは驚かれるでしょうか。その結果、ハーパー首相の二○○八年公式謝罪に至り、ニュースでも 大きく取り上げられていたと聞けば、よりいっそう驚かれるかもしれません。

かくいう私も、この問題を知ったのは、つい最近のことです。きっかけは、著名な憲法学者ケント・ローチ教授の来日でした。へイトスピーチ裁判への関心から、朝鮮学校への訪問を希望されたことを受け、私が案内役をお引き受けすることになりました。今年の九月のことです。

このローチ教授こそが、冒頭のハーパー首相謝罪に伴う政府報告書のとりまとめ作業で、極めて重要な役割を果たした人物でした。以下、 脚注の広瀬論文をもとに、事件の概要を紹介します。

事件の舞台となったのは カナダ政府の委託により各地に設立されたインディアン寄宿舎学校です。 先住民族に「進んだ先進文明による教育を施す」との政府方針で、子どもたちは家族から無理矢理引き離され、寄宿生活を強いられます。一八七四年の最初の学校設立の後、一九九六年の最後の閉校まで、カナダ全土で一三二校が設立され、今日、生存する元生徒の総数は八万人に及びます。子どもたちは、不十分な食事、粗末な衣類しか与え られず、劣悪な衛生環境のもとに置かれていました。 先住民を征服対象として見下す政府施策を背景に、白人市民の差別意識を如実に反映していたといえます。 長年にわたり、教師や牧師 による心理的虐待や、挙句のはてには体罰、性的虐待まで常態化してしまう有様でした。命を落とす児童すらもいたという環境の過酷さを反映して、元生徒たちは生存者 Survivorと呼ばれています。

寄宿舎学校の長い歴史から見れば、元生徒らが壮絶な虐待体験について告白できるようになったのは、ほんの最近のことです。元教員に対する初めての訴訟が提起された一九八八年を皮切りに、著名人たちが公の場で証言するようになり、 被害の訴えを無視できなくなった政府が、多額の予算を投じて調査に取り組んだ結果、調査委員会からの是正勧告が数多く発出されるに至りました。

人権無視の政府施策を糾弾する勢いは、一九九八年のスチュワート大臣謝 罪をもってしても弱まることはありませんでした。 二○○一年時点の統計で訴訟件数は四一一二四件、原告 数は八九四三名にのぼり、しかも毎月一四○件もの訴訟が新たに提起されるなど、一つの社会現象になっていました。

慌てた政府は、事態の早 期収拾を目指し「裁判外紛争解決(ADR)審判所」を設け、訴訟よりも迅速簡便な手続を準備しますが、そこでの補償金の枠組みがさらなる批判を浴びてしまいます。つまり、性的虐待と身体的虐待の問題に焦点を絞りすぎ、被害の本質、すなわち、自分たちの言語を喪失し、先住民文化というアイデンティティを失った生徒たちの社会的損害についての考慮が欠落していると批判されたのです。

先住民団体のその後の粘り強い運動の結果、冒頭の首相謝罪まで引き出す大きな成果がもたらされるのですが、京都のへイトスピーチ事件における被害当事者の対応と共通する面があります。京都でも事件直後には威力業務妨害という物理的被害に焦点を絞るべき、との議論がありました。しかし、在日朝鮮人の教員や父母たちは、朝鮮文化・言語に対する攻撃であったという、民族の尊厳に直結す る面を司法の場で訴えてい く決断をします。裁判は長期化し、立証の負担も大きくとなりましたが、それをやりきった力の源は、子どもたちが誰しも自身の出自に誇りをもって生きられる 社会を作る、という確固たる信念であったと思います。

日本でも、カナダの例に学びながら、多民族共生の理念を推し進めていく取り組みが求められています。

差別偏見の影響をもろに受け、国内では孤立しがちな朝鮮学校ですが、普段の授業では、朝鮮語、日本語のみならず、英語教育にも力を入れています。口ーチ教授の学校訪問では、生徒たちの興奮気味の表情や、幼稚班園児の合唱に目を細める教授の姿が印象的でした。国境を越えたつながりを作るという面でささやかながら貢献できたように思い、嬉しく感じたひとときでした。

(参照論文)


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