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Living History Project(2000年)の概要紹介

更新日:2023年8月11日


初出・2000年 web公開にあたり2016年一部加筆・画像追加

1998年、アメリカ・スタンフォード大学での学生ファッションショーのことである。このイベントを宣伝するポスターの中央に”キノコ雲”が鎮座していた。反戦のメッセージなどではない。アメリカでは"da bomb"(The Bombを崩した表現)というスラングがあるが、あらゆるものをなぎ倒すかっこいいものの象徴として、キノコ雲が使われていたのである。原爆投下を連想させる、とも評されるSake Bomb(日本酒バクダン、youtube動画リンク)なんていう、滑稽なお酒の飲み方もある。

このポスターをデザインしたアメリカ人学生も、普段は良識あるスタンフォード大学の学生である。中国や韓国などアジア系アメリカ人であったと思われるが、だからといって熱心な原爆投下の支持者であったとは思えない。おそらく、ただなんとなく、かっこいいと思ってキノコ雲を使い、そして、これを見た一般の学生も、ただなんとなく、それを受容していたのだろう。

この”ただなんとなく、かっこいい”に、アメリカ人一般の原爆被害に対する無関心が現れている。

(参考: 2016年時点での"you da bomb"のgoogle画像検索の結果がこちら↓)

​​

日本の反核のメッセージは、アメリカに届いていない。せっかくアメリカにいるのだから、自分たちにできることをしていこう、とスタンフォード大学に在学中の日本人学生が集まった。

それから1年たった今年2000年1月、私たちのアイデアは、

「リビング・ヒストリー」と題された十一日間のイベントに結晶された。原爆だけではなく、アジアにおける日本軍の残虐行為も取り上げ、それらを同じ場で、同一レベルで提示していこうという趣旨は、これまでの”原爆被害者の展示”という視点からは一線を画したやり方と思う。

それでは、なぜ原爆展としなかったか。

これからの日本の平和運動のあり方への一つの提案として、私たちの取り組みを紹介したい。

このイベントは、企画の呼びかけ段階でこそ私たち日本人学生から始まったが、最終的に主催者となるスタンフォード学内の学生グループ約30名の構成は、日本学生のみならず、アメリカ、中国、韓国等、さまざまな国籍・人種的背景が混じり合うものとなった。

スタンフォード大学構内の集会室を借りきって設けたメインの会場では、写真、体験談を中心に、原爆、南京虐殺、七三一部隊、従軍慰安婦等の出来事を展示した。また、展示期間の十一日間に開かれた三回の講演会には、七三一部隊の研究で有名な米国人歴史学者、日本軍侵略を生き抜いたフィリピン人の女性、そして、二人の日系人被爆者を招いた。

もともとは、原爆展をするつもりで企画を練りはじめたのだが、中国、韓国、アメリカなど、さまざまな国の人々と話すうちに、考えを変えざるを得なくなった。原爆の悲劇を日本人以外の人々に伝えていくためには、原爆被害のみに話を絞ってはいけない。日本人だけで発信主体を構成してはいけない。

これが、私たちがたどりついた結論だった。

海外に向けた日本人からの発信には、まずは反核を、という論理がありがちだ。

しかし、一歩日本の外に出ると、真珠湾や南京等々の侵略がなければ、広島もなかったのだという歴史観が定着している。スミソニアン博物館の原爆展が中止に追い込まれた事件を記憶している人も多いだろう。こういった現状で、日本人が、原爆だけの展示をすると、共感とは逆に、強い反感を引き起こしてしまう。

(↓このイベントを報じた学内新聞の記事)

企画の段階でアジア系学生団体に共同主催を持ちかけたが断られた。被爆者の講演の宣伝で学生寮を回ったときには、台湾人の留学生にすごい剣幕でまくしたてられたこともある。

「日本人は原爆、原爆ばかりで、自分たちがやったことを反省する気はないのか」と。

私が、このイベントは、南京や慰安婦といった日本にとって負の事実を原爆と同レベルで取り扱っていることを辛抱強く説明すると、ようやく彼も納得してくれた。もし、私たちのイベントが原爆だけのものであったら、彼の心には、新たな日本人への不信感が刻まれ、被爆者の訴えは、より届きにくくなっていたに違いない。

 こうして作り上げられた我々のイベントは、訪れた学生や大学関係者に一定の印象を残したようだ。慰安婦の手記を読みながら、ぽろぽろと涙を流す白人女学生の姿があった。原爆で火傷した赤ん坊や、七三一部隊の生体実験の写真を見て、その残酷さに思わず目をそらす黒人学生もいた。日系人被爆者の講演には、百五十人ほど集まり、講演の後には学生の質問が集中していた。

民族紛争が絡む繊細な問題を、これだけ刺激の強い形で提示したにもかかわらず、人々は事実を事実として受け止め、それが、感情的な批判という形ではね返ってくることはなかった。 それは、日本を超えてアジアの国々のさまざまな声を包容する私たちの姿勢が参加者に理解されたからだと私は思う。

反核のメッセージを日本の外へ広げていくために、日本人にはいま、原爆に縛られない広い視野が求められていることを知ってほしい。


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